(4)「憾満ヶ淵大捜索」
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12月上旬の土曜日、徳川開府400年を記念したハイキング会が、日光山内を中心に開催れるというので、30数年来の友、小埜(通称、小埜ちゃん)、柿崎(和ヤン)の両先輩と参加することになった。
天気は朝から曇天、予報は雨。「12月の雨じゃあ、冷たくて寒いだろうなあ」と心配しながら、北千住駅から東武特急“スペーシア”に乗った。彼らは春日部から乗ってくるはずである。
指定席だが「三人じゃ座席はどうなっているのか、向き合って座るのが良いが、知らない他の一人は可愛そうだなあ」などと心配しながら(実は以前、私はその知らない一人になり、辛い時間を過ごしたことがある)ボーッと外を眺めているうち春日部に到着。
「やあ、しばらく、すぐ分かったよ」などと言いながら、歳甲斐もなく異常に元気な二人が入ってきた。何度か行ったことのある日光、天気予報も悪く、しかも10kmも歩くというのに二人は小学生のようにはしゃいでいる。(実は私も少々ハイになっていた)。座席も心配無用、通路を挟んで横並びだった。
10時ごろ東武日光駅に着いた。空は東京の方よりは明るい。雨は降りそうもない。もうこれだけでもうれしい。駅にはすでに大勢のハイカーがおり、東武鉄道や地元の観光協会の方が忙しそうに受付をしていた。
我々も受付を済ませてスタート。大谷川(だいやがわ)にかかる霧降大橋を渡り、小倉山へ。山というより小高い丘といった感じである。初冬の山林は透明感があり私は大好きである。途中、ローラー滑り台にも乗り、本当に小学生に戻った気分だった。雲の切れ間から太陽も顔を出してきた。心地よい汗もかき三人とも爽快爽快。「ハイキングもいいものだなあ」などとたわいのない会話をしながら歩いた。でもこの後、とんでもないことになるとは知る由もなかった。
1時間30分ほど歩き、コースもほぼ中間地点、名勝「憾満ヶ淵」手前の小さな広場でその事件は起きた。
テントが張られ、地元の方による甘酒の無料サービスがあり、ハイカーも入れ替わり立ち替わり、紙コップを受け取り休憩をとっていた。
和ヤンが「ちょっとトイレに行ってくる」と、10mほどのところにある公衆トイレに行った。
私と小埜ちゃんは甘酒をすすり、私は居合わせた日光観光協会の町田さんと立ち話、小埜ちゃんは甘酒が美味しいとおかわりまでしていた。
ところが5〜6分経っても和ヤンは戻って来ない。 小埜ちゃんも 「和ヤン遅いなあ」と言いながらトイレの方へ見に行った。 「和ヤンいないけど、大の方か」などと言いながら戻ってきて、また甘酒をすすっていた。 12〜13分経っても出て来ない。小埜ちゃんが再びトイレに行き、 「二つある大のドアをノックしたけど返事がないよ」という。さすがに、私も「おかしいなあ」思い、トイレへ向かった。女性用トイレはまだ混雑していた。 「よっぽど我慢できなくて女性トイレに入ったのかなあ」と 小埜ちゃん。このあたりからイマジネーション豊かな小埜ちゃんの推測がはじまった。 「多分、我慢できなくなって、まだ誰もいなかった女性トイレに入ったものの、混んできて出るに出られなくなったのかも知れないよ」。(ふ〜ん、なるほど)。 「並んでいる女性に頼んで呼んでもらおうか」。(それがいい)。 「でも、恥ずかしくて返事もできないかなあ」。(できないかも)。 やがて女性トイレも空き、小埜ちゃんも「和ヤ〜ン、和ヤ〜ン」と呼ぶ、が返事なし。四つあるドアも確かめたがいない。 すでに20分ほどが経っている。 「じゃあ、先に行ったのかなあ、…でも俺たちがここにいるのに黙っては行かないだろう」と小埜ちゃん。確かに広いところではなく、先に行くには私たちの目の前を通って行くことになるのだ。300m先に「憾満ヶ淵・並び地蔵」がある。 「じゃ、憾満ヶ淵まで行って見てくるよ」と、私が速足で出かけた。100%そこで待っているだろうと私は確信していた。行き交うハイカーも一人ひとり観察、 「な〜んだ、散々探したよ」というシチュエーションが浮かんだ。だが、いない。(これはホント困ったぞ)。じゃあ、さっきのところに戻れば、小埜ちゃんも「いたよ〜」てなことになるだろう、と思いつつ戻った。途中からトイレのある広場が見えたが、そんな雰囲気がない。大きな石の上に、ボス猿のように立ち、こちらを見ている小埜ちゃんを見て、いよいよ大変なことになった、と思った。
とにかくトイレにはいない。周辺を探そうということになり、トイレのすぐ裏手が10mほどの崖になっており、その下を大谷川が流れている。 「トイレが混んでいて外でしたんじない。崖の方を見よう」と小埜ちゃん。膝あたりまで埋まる落ち葉をかき分け、崖っぷちに立った小埜ちゃん、 「和ヤ〜ン、和ヤ〜ン」と叫ぶ。勿論返事はない。とっさに私は、 「下はすぐ流れになってるの?」と尋ねた。 「いや砂利で流れは向こう側だ」という。私は(落ちても流されることはない)と思い、少しはホッとした。
二人は、何かに蹴っつまずいて、崖に落ちて、打ちどこが悪く、気を失っているかも、とか、血圧が高くて、倒れて崖下へ転落したかも、とか…、次々と不吉な予感だけが頭を横切る。観光協会の町田さんに言っても、笑いながら
「それは神隠しだね」と、言われるだけ。しかし、もう30分は経っている。 もう探すところもない。先に行こうということになった。楽しみにしていた“並び地蔵”もろくに目に入らない。会話もないまま二人は先を急いだ。
15分ほど歩き、右にカーブしたところに大日橋がある。その橋のたもとに太陽の光が降り注ぐ小さな広場があった。何組かのハイカーも食事をしていた。と、そこの一番目につくところの石に腰掛けて、おにぎりをパクついている一人のおやじ、和ヤンである。ちょっとオーバーではあるが、全身の力が抜けていくのが分かった。と、間髪入れず小埜ちゃんが、
「和ヤンやめろ!、おにぎり食べるのやめろ!」と叫んだのである。先ほどまであんなに生命まで心配していたのに、おにぎりぐらいで、と思った。和ヤンもキョトンとしている。 実は、このハイキングの昼食は、美味しいお店を知っているので弁当は持ってこないように、と私が言っておいたのを小埜ちゃんがすっかり忘れ、二人ともおにぎりを持ってきたのだという。その責任感から、ここでお腹いっぱいにされたのでは、と思って「やめろ」と言ったのだという。
和ヤンは、「トイレはすぐ済ませ、テントも覗いて『ああ、二人は先に行ったんだなあ』と思って歩きはじめた。でも追いつかないし、もしかしたら後ろか、と思い、“並び地蔵”のところで10分ほど待ったが、来ない。もっと先まで行ってしまったんだなあ、とここまで来たが、さすがにこの橋は渡っていないと判断、お腹も空いたし、二人もきっと食べているだろうと、リュックからおにぎりを出した。よりもよって一口パクリと口の中へ入れたとたん、小埜ちゃんに『やめろ』と言われた」とぼやく。 安堵感とおにぎりパクリの光景がおかしく、なぜか私をパッピーな気分にさせてくれた。見ると和ヤン、一口食べたおにぎりをまだ手に持ったままだ。 ハイキング会の残りのコースは、この話オンリー。
「このまま和ヤンが見つからなかったら、奥さんに『小埜さんて何て冷たいんでしょう』って言われそうだし、やっぱり、あの深い落ち葉の中も、埋もれていなかったか確かめるべきだった、とか、もう一度戻って探そうか、とか、ホントいろいろ考えたよ」と小埜ちゃん。 私も、正直なところ『中高年ハイカー、また遭難』なんていう翌日の新聞の見出しまで思い浮べていた次第。で、和ヤンに 「どうしてあそこで甘酒飲まなかったの」と尋ねたら、 「俺、甘酒が嫌いなんだよ」。 (オーマイゴット!)。
そんなこんなで、とにかく東照宮近くの由緒ある「明治の館」で昼食をとることにした。 店内は満席、ちょっと待たされたが、おじさん三人店内に通された。暖炉もあるクラシカルで落ち着いた店内、お客さんもどこかハイソな雰囲気。そこへハイキングスタイルのおっさん三人、何とも不釣り合いだ。一応、日光名物、湯葉などおすすめの料理を注文し、ビールで乾杯。でも、1分もたたないうちに先ほどの行方不明の話になってしまった。 食事中大笑い、三人とも涙が出るほど笑った。周囲の人たちの「このおじさんたち、何か変、おかしい」という視線が突き刺さってくるのを感じたが、やめることができなかった。 ハイキングが目的だったことも忘れ、帰りはスペーシアの個室で、周囲に気を使うことなく大笑い、大騒ぎで帰って来たほどほどにボケてる“おやじトリオ”。
和ヤンも甘酒が好きだったら、こんな楽しい一日にはならなかったことだろう。(0402)
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